■Rod Stewart – Sailing
1975年頃、インドネシアに出張に行くたびにディーラ接待でダンスホールに連れて行かれました。
アップテンポな曲が続いた後、いわゆるチークタイムによく演奏されていたのがこの曲です。
しっとりとした美しい曲想は、日本から遠く離れた異国の地に一人でやってきた寂しさや感慨をさらに深めました。
接待と言えば聞こえは良いのですが、現実は毎晩明け方の3時まで付き合わされ、朝は8時半に出勤して仕事をするのを1週間続ける過酷なものでした。
要は東京から来た客人をもてなすことを口実に自分達が連日連夜遊びまくっていたのでしょう。
■社交ダンスを始めたきっかけ
大学で、必ずどこかの部に所属しなければならないとの決まりが有ったのでESS(Englishi Speaking Society)に入ったら、先輩にダンパ(ダンスパーティー)の券を売りつけられました。当時お金の無い部が資金集めのために週末になると祇園弥生会館で毎週ダンスパーティを開いていました。
先輩に「踊れない」とチケットを断ると、「行けば女の子が教えてくれる」と無理やり券を押し付けられ、実際に行って見るとそんなうまい話があるはずもなく、壁の花ならぬ壁のシミとなり最初の挫折を味わいました。
そこで一念発起してYMCAに通い社交ダンスを習い、今度こそと自信を持ってダンパに行ったのですが、軒並み女性に断られ敢え無く再び壁のシミとなってしまいました。普通ならこの当りで断念するのですが、なぜ先輩が誘えば女性がOKするのか不思議で、懲りずに今度は踊るのではなく先輩がどのように声をかけるのか観察しにダンパに行きました。
中高を男子校で過ごしたので女性とどんな会話をしたら良いのかも分からなかったのですが、この体験で、その後の社会人としての重要な素養??、諦めない、観察する、考えるが身につきました。訳け有って大学で一切勉強しなかったのですが大いに社会勉強になりました。唯一残念なのは社交ダンスをYMCAの厳格な先生に習ったので、チークダンスができない、これで何度かチャンスを逃しました(笑)。後に台湾へ出張したときに、ダンスホールが一番金のかかる遊びだと聞きました。
社交ダンスは社会に出て、特に海外で大いに役立ちました。そんな思い出深いSailingですが、このビデオは、インドネシアのダンスホールで聴いた演奏そのもののように思い出されます。
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